5.2 制度という環境の中でヒトは生きる
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過去の研究においては、人々が集団内のメンバーに対して好意を表すことと、集団の外の人に敵意を表すこととは対極にあると考えられてきた
しかし、彼が率いるチームの研究では、人々は主に好意表現の面において集団内外の人に差をつけるのであって、敵意の程度では違いを表していなかった
この知見によって、対人関係においての好意と敵意は、異なるドメイン上にあることが明らかになった
一連の経済学実験(報酬分配ゲーム、囚人のジレンマゲーム、独裁者ゲーム、信頼ゲームなど)を用いて、集団内外メンバーを区別する行動の機能とメカニズムを検討した
これらの研究では、内集団びいきのような現象が現れるのは、人々が社会的相互作用において採用しているデフォルトの戦略、つまり内集団メンバーに対して協力的に振る舞うことを通してよい評判を得る戦略(一種の条件付き利他主義メカニズム)が働いていることが明らかになった 同時に、内外集団を区別して扱うことへの影響要因についての研究も進められた
文化差に関しては、日本と中国はどちらも集団主義的文化に帰属されているが、日本人の集団主義は長期的に所属している集団をもとにしているのに対して、中国人の集団主義はどちらかというと人間関係ネットワークに依存しているという違いがあった
そのため、全体的に見ると日本人は中国人に比べて内集団びいき行動の度合いが少ないという研究結果が得られた
本文
私の研究者としての経歴は、社会学的社会心理学者から出発した 社会学的心理学者: 個人の心理と社会構造との間のミクロ・マクロの動的な関係に主要な関心を持つ研究者
ミクロ・マクロの動的関係に対する興味こそが私を進化心理学に引き合わせた 進化心理学は、どのようにして環境が、それも特に社会的な環境がヒトの心を形成するかを研究する学問分野
ヒトが周囲の世界を知覚し、解釈し、相互作用する方法には、奇妙な生得的特性が見られる
奇妙な特性は大部分が社会的環境への適応として選択されてきた
ミクロ・マクロへの興味関心は、文化心理学にも広がった 進化心理学における基本的な主張とは、ヒトの心理はEEA(進化適応環境)によって形成された、というもの 私が考える文化心理学の基本的な主張は、同様にヒトの心理はECA(現在適応環境)によって形成され続けている、ということ ヒトも、そしてヒト以外の動物個体も、自身の好意によって自身が適応する環境そのものを創造し、維持し、そして変化させる
ビーバーは巣の安全性を高め、食料供給を増やすためにダムを造る
一度ダムが構築されると、ダムが淘汰圧として働き、ビーバーの体形や行動特性といった形質、具体的にはヒレ状の尾や防水性の高い毛皮が正の選択を受けた
ビーバーは自身が構築した環境に対する適応としてそうした特性を進化させた
様々な場面でヒトもニッチ構築を行っている
自身が作った人工物によって大部分が湿られている環境に対して適応する
社会的ニッチあるいは制度は、それ自体、ヒトが社会的に作り上げたものだが、ヒトの行動を抑制・促進する
例えば、人間行動の大部分が社会的規範、すなわち他者の反応に対して個人が持つ期待のセットによって制御される 社会的ニッチ、すなわち制度は、集団によって形成され、個人の行動によって維持される、制約や誘因の安定的な集合体
文化への制度アプローチでは、文化特異的な心理や行動を、個人の集合が作り出した制約や誘因の集まり、すなわち社会的ニッチへの適応として分析する
ECA、すなわち現在の社会的ニッチへの適応は、社会的に賢い行動として表れる
社会的に賢い行動とは、自身の生存や繁殖という適応度を高める上で有益な資源の獲得につながりやすい行動のこと
制度アプローチの核となるものは、何がある行動を社会的に賢いものにするのかを分析すること
言い換えれば、ある特定の行動がもたらす結果の適応価を分析すること しかしながら、ある行動の結果がもたらす価値の大部分は、その行動に対する他者の反応に左右されることをここで強調しておく
例えば、あなた自身の能力の高さを主張することは、北米で職を得るためには社会的に賢い行動となるが、日本で女子学生が仲間集団に入ろうとする時に同じ行動をすれば、それは賢い行動とは言えないだろう
文化心理学において、リバースエンジニアリングを用いた分析は、素朴な観察者にはその適応価が明確でないような、ヒトの行動あるいは認知傾向を特定することから始まる
一般的信頼(他者一般に対する信頼)を例として取り上げる つまり、日本人よりもアメリカ人の方が協力の程度が高いことは、大規模な異文化間の調査で得られた結果が単なる回答者による取り繕いの産物ではなく、他者に対する信頼によって実際に獲得する報酬金額が変動する場面においても、アメリカ人の方が信頼の程度が高いことを顕にしている
集団主義的だと思われている日本人が、見知らぬ人を信頼せず、協力もしないという謎に対して、私はリバースエンジニアリングの観点からアプローチした 研究では、高い一般的信頼あるいは低い一般的信頼がそれぞれの社会で、どのようなECAの側面において適応的となるのかを明らかにしようとした
集団主義的社会において、社会秩序の維持を担っているのは、強固な個人的つながりのネットワークを通じた相互監視と相互統制
安心社会において、人々は普通、情緒的・金銭的なつながりの深い相手とだけやりとりする
そして、直接的な監視も、強固なつながりのネットワークを通じた間接的な監視も行き届かない相手は避ける
この強いつながりのネットワーク(中国における「グアンシィ(関係)」も同じ)が、ネットワーク内の他者は規範的期待に進んで従うだろうという安心を提供するので、表面的には、集団主義的社会において「信頼」が促進されているようにみえる しかし、詳しく調べてみると、この「信頼」を支えているのは、ネットワーク内で常に監視されている状況下でのみ成立する、正直かつ利他的に行動することへの誘因であるとわかる
さらに、ただ乗りが発覚することのコスト、つまりネットワークからの排除は、集団主義的社会において高くなる
こうした社会では一度ネットワークから排除された人が他のネットワークに参入することは難しいから
逆説的ではあるが、このことは集団主義的社会では信頼が必要とされないことを意味する
強いつながりの中では、他者の信頼性を評価する必要がない
さらに、こうした人々は強固な個人的つながりの社会的ネットワーク内の相手とだけ相互作用し、ネットワークの外にあるかもしれない機会を見送ったとしても、あまり損失を被ることがない
要するに、集団主義的なECAにおいて、人々に信頼できそうな行動をとらせているのは、その社会における社会的誘引の性質だということ
彼らがひとたび相互監視システムのない状況に身を置かれると、監視も統制もされていない他者に対して、親切に振る舞うはずだという安心を失う
以上が、現実の集団場面においては日本人の方がアメリカ人よりも協力的であるにも関わらず、私が行った社会的ジレンマ実験(Yamagishi, 1988)の結果の説明 こうしたタイプの集団主義的社会を構築し、維持する根本的な原動力となるのは、公正で効果的な法体系の欠如
そうした法体系が存在しない場合、社会秩序は、緊密な人間関係の中でお互いに監視し制裁するシステムによって構築され、維持される
集団主義的な社会秩序におけるECAは、多くの点でEEAと似ている
少なくとも法体系に支えられたECAよりも、EEAとの共通点が多いと言える
これは、文化心理学者が集団主義的あるいは相互依存的文化の特徴とみなした心理機能が、集団主義的な社会秩序に対する普遍的なヒトの適応を反映していることを示唆する 私は、自身の行動がどのような評判につながるかに敏感であることが、東アジア(や他の)社会における集団主義的あるいは相互依存的文化に特有の心理的機能の核であると考えている
東アジア(や他の)社会における社会秩序の集団主義的な性質は、法体系をもととするシステムの方向へと急速に変化している
こうした社会秩序の基盤の変化は、それぞれの社会で異なる形で推移し、それぞれの社会で異なるECAを生み出している
文化心理学者はどちらも集団主義的あるいは相互依存的とみなしているが、中国における「グアンシィ」の心理と日本における集団志向的心理には、いくつかの重要な違いがあることがわかった
例えば、信頼における文化接合実験(異なる文化圏の参加者がインターネットを通じて相互作用する実験)によって、中国人の実験参加者は日本人よりも積極的に、自分は信頼に足るというシグナルを相手に送ることが明らかとなった
この大きな文化差に対する我々の解釈は、中国における社会生活では個人的なつながり(「グアンシィ」)を構築し、拡大することが重要である一方で、日本の社会生活では個人的なつながりを構築するよりも、確立された集団に所属することがより重要である、というもの
現在のECAでは非適応的な行動の中には、EEAにおいて適応価が存在したものもあると、進化心理学者は考えている
例えば、肥満をもたらすような糖の過剰摂取は、かつては熟した果実を見つけるのに役立っただろう
同じように、文化特異的な行動の多くは、異なるECAのもとでそうした行動をとった結果、異なる適応価をもたらしたことに起因すると考えられる
もう一つ、私が大いに関心を寄せている研究テーマは、EEAに起源を持つ心理(例えば、評判への敏感さ)がどのようにして現在のECAの形成(例えば、社会組織の特徴、前述の例でいうとネットワークなのか集団なのか)や、それに伴う現代社会での知覚、認知、そして行動上の奇妙な特性の形成に寄与しているのを明らかにすること